リパーゼ事件「発明の要旨認定」(昭和62年(行ツ)第3号、最高裁平成3年3月8日第2小法廷判決)

事件名

リパーゼ事件

本判決に関係する特許法の論点

審査のときの、発明の要旨認定の方法とは?

事実関係

・Xは特許出願人であり、「リパーゼ」に関する発明について出願した。
特許請求の範囲には、「リパーゼ」という文言があったが、発明の詳細な説明の実施例には「Raリパーゼ」に関する記載しかなかった。

・審査官は、拒絶査定をした。

・出願人Xは、拒絶査定不服審判を請求した。

・審判官は、特許請求の範囲に記載された「リパーゼ」という文言は、文言通り、あらゆる「リパーゼ」を含むと解釈した。
そのうえで、本件発明について、進歩性なしを理由に、請求棄却審決をした。

・Xが審決取消訴訟を提起した。

・東京高裁は、請求を認容し、拒絶審決を取り消した(審決取消判決)。
ちなみに東京高裁は、『文言上は「リパーゼ」だが、発明の詳細な説明を考慮すると、それは「Raリパーゼ」を意味するため、審決は発明の基本構成の解釈を誤った』と述べた。

・特許庁長官が、上告した。

本判決の結論

・破棄差し戻し

・判旨

「特許法29条1項及び2項所定の特許要件、すなわち、特許出願に係る発明の新規性及び進歩性について審理するに当たっては、この発明を同条1項各号所定の発明と対比する前提として、特許出願に係る発明の要旨が認定されなければならないところ、

この要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。

特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、
あるいは、
一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかである
などの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。

このことは、「特許請求の範囲には、特許を受けようとする発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載しなければならない」旨定めている特許法36条5項の規定からみて明らかである(旧特許法の話です)。

これを本件についてみると、原審が確定した前記事実関係によれば、本願発明の特許請求の範囲の記載には、
・・・(省略)・・・
「リパーゼ」についてこれを限定する旨の記載はなく、右のような特段の事情も認められない。

よって、本願発明の特許請求の範囲に記載の「リパーゼ」が「Raリパーゼ」に限定されるものであると解することはできない。

原審は、本願発明は測定方法の改良を目的とするものであるが、その改良として技術的に裏付けられているのは、「Raリパーゼ」を使用するものだけであり、本願明細書に記載された実施例も「Raリパーゼ」を使用したものだけが示されていると認定しているが、

本願発明の測定法の技術分野において、「Raリパーゼ」以外のリパーゼはおよそ用いられるものでないことが当業者の一般的な技術常識になっているとはいえないから、

明細書の発明の詳細な説明で技術的に裏付けられているのが「Raリパーゼ」を使用するものだけであるとか、実施例が「Raリパーゼ」を使用するものだけであることのみから、特許請求の範囲に記載された「リパーゼ」を「Raリパーゼ」と限定して解することはできないというべきである。

そうすると、原審の確定した前記事実関係から、本願発明の特許請求の範囲の記載中にある「リパーゼ」は「Raリパーゼ」を意味するものであるとし、本願発明が採用した酵素は「Raリパーゼ」に限定されるものであると解した原審の判断には、特許出願に係る発明の進歩性の要件の有無を審理する前提としてされるべき発明の要旨認定に関する法令の解釈適用を誤った違法があるというべきであり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。

この点の違法をいう論旨は理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。 よって、更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととし・・・ 」

解説

本事件で争われていたのは、特許庁の審判の結果を覆した東京高裁の判断が、正しかったのかどうかです。

東京高裁は、請求項の「リパーゼ」を「Raリパーゼ」とせまく解釈し、審判官の判断は誤りであったと述べましたが、これに対し、最高裁は、特段の事情がない限り、特許請求の範囲に記載された発明の要旨認定は、文言に忠実に認定すべきと一般論を述べた上で、本件の事実をあてはめ、東京高裁の判断が誤りであったと述べました。結果的には、特許庁の審判官と同じ考え方で判断しています。

補足

特許判例百選(旧)の138頁~139頁では、本判決に言う「特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができない」場合とは、一般的な技術用語が、その発明の当業者から見たら、ちがう受け取り方をするかもしれない場合をいうのではないか?と述べられています。

感想

本判決は、「リパーゼ」という文言に忠実に判断されたため、「特段の事情」にかかる説示部分は、傍論にあたりますが、この判決にいう「特段の事情」の存在が、出願人の主張により審査・審判で争点となるケースが、今後に出てくるのか考えてみましたが、出てこないのではないかと思います。

なぜなら、 この判決に言う「特段の事情」として挙げられている、
(1)特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができない場合
(2)一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかである場合
というのは、(現在の審査実務では、)ともに、明確性要件違反(36条6項2号違反)であり、この「特段の事情」を、特許出願人が主張した場合、出願人自ら請求項の記載不備を認めるようなことになるため、出願人が主張することはないと思います。

注意事項

この事件について、注意しておきたいのは、本判決と特許法70条2項との関係です。

特許法70条2項は、本判決のような査定系での場面ではなく特許権侵害の判断の場面における、技術的範囲の認定方法に関する条文です。

70条2項は、この事件をきっかけに創設された規定です。

なぜ70条2項が規定されたのか、簡単に説明します。

従来の裁判では、たとえば、出願時の公知技術を権利範囲に含んでしまう発明が特許されてしまった場合、明細書の記載を考慮して、クレームの技術的範囲を意図的に狭く認定し、公知技術や、公知技術に近い技術を使用している人が特許権侵害にならない(非侵害)という結論を出していた事例が多かったようです。

しかし、リパーゼ事件のあと、権利侵害の場面でも原則として、クレームの技術的範囲が、
クレームの文言に忠実に認定されるのではないだろうか・・・・?

という懸念、疑問が、知財の実務家などから生じました。

そこで、権利侵害の判断の場面では、これまでと同様に、明細書の記載から技術的範囲を判断します、
という確認的な意味で、特許法70条2項は規定されたのです。